HISTORY
The Coors Story
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ザ・クアーズ・ストーリー 1934〜1959
ビール造りの再開

アドルフは、禁酒法が解けるのを待たずに1929年に亡くなりましたが、その頃にはすでに会社が生き残るだけでなく、成功するだろうということがアドルフには分かっていました。その息子アドルフJr.が会社の経営を引き継ぎ、禁酒法が廃止されると、ゴールデンの醸造所ではビール造りが再び堰を切ったように始まりました。クアーズの生産量は136,000バレルを超えました。

禁酒法の前、クアーズのビールが販売されていたのはデンバー、サンフランシスコ、ワイオミング、ニューメキシコなどのいくつかの市場に限られていましたが、会社の評判は商品が販売されていない土地にまですでに広まっていました。禁酒法が廃止され、数百カ所の醸造所が各地で操業を再開した今、それらの醸造所と競争するときが来たのです。禁酒法の廃止から6年間で、クアーズは西部の10州に市場を拡大することに成功しました。そして、この時期に使われ始めたシンプルなキャッチフレーズは、その後50年間に渡って使われ続けることになりました。そのキャッチフレーズとは「ロッキー・マウンテンに湧く泉の澄んだ水で醸造しました」です。

アドルフ・クアーズ・ジュニア第2次世界大戦はクアーズにとって新たな苦難の時期でした。戦時中は、節約のために多くの産業で生産活動が鈍化しましたが、ビールはアメリカ軍兵士の志気を高めるうえで大切な物と認められ、醸造所が大麦などの材料を十分調達し、生産を続けられるようにするため、政府からビールメーカーに対して特別な補助金が支給されました。その代わり、クアーズなどのビールメーカーは、生産したビールの半分を軍への販売に充てることで、戦争に協力しました。なお、戦時中に生産されていたビールは、それまでの物とは少し違う点がありました。戦争前に4.6%だったアルコール度を、戦時中は3.2%に下げていたのです。

終戦を迎えた1945年、クアーズのビール生産量は戦争前の2倍、300,000バレルに達していました。その後の10年間は、販売量が増加の一途を辿り、1955年には100万バレルを記録しました。
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